2021-04-27 第204回国会 参議院 文教科学委員会 第10号
感染症研究の拠点となる長崎大学医学部の現在建設中のBSL4、バイオセーフティーレベル4について、その現況とその意義をお伺いいたします。
感染症研究の拠点となる長崎大学医学部の現在建設中のBSL4、バイオセーフティーレベル4について、その現況とその意義をお伺いいたします。
幕末期にオランダ人医師ポンペが開設した長崎医学伝習所は現在の長崎大学医学部に受け継がれまして、戦時中から本格的に取り組まれていた感染症の研究は、一九六七年の熱帯医学研究所へと発展をいたしまして、今や長崎大学は感染症における国内外の教育研究拠点となってきております。
まだ十六歳で、長崎大学医学部を目指しておりまして、まだ原爆が落ちたときはおじは生きていたようであります。友人たちの足にしがみついて、連れていってくれ連れていってくれと言って、誰も連れていくことができず、そのことをいまわの際まで悔やんでおられる、そんな御友人のお言葉を聞きながら育ちました。
私は先日現地に行きまして、配付資料二の写真の一、これは昨年五月の質問で示したときの長崎大学医学部キャンパスの近くに近隣住民の皆さんが立てられた看板なんですね。それが今、二のようになっております。自治会名が四自治会から十自治会にふえて、反対表明市民数が三千四百三十五名と書かれております。
配付資料一は、長崎大学医学部、通称坂本キャンパスの地図ですが、このように民家に囲まれた住宅密集地で、建設候補地から最短の民家まで五十メートル、南側には長崎大学病院、北側には浦上天主堂、西北西約五百メートルには多くの観光客が来訪している原爆爆心地公園があります。 配付資料二の写真の三ですが、これは医学部キャンパス東側の住宅地とBSL3施設の間の道路です。
三枚目は、右側には、私の母校である長崎大学医学部の正門、爆心地から七百メートルに位置したものであります。大きくて重たい門柱が九センチずれ、台座との間には十六センチのすき間があり、その校門は六十八年間、傾いたままであります。本来、倒れるか元に戻らなくてはならないはずの門柱が六十八年間も傾いたままであるということを科学的に説明することはできません。
○自見参議院議員 医学の道を進む同志でございます冨岡元長崎大学医学部の教授に議員として当てていただきまして、大変光栄に思うものでございます。 また、今、福山代表発起委員から弔辞の表明がございましたが、私も二十四年前、当時まだ三十九歳でございまして一年生議員でございましたが、昭和の年金大改正というのがございました。
私は、長崎県五島の油症患者さんとは、長崎大学医学部の第二外科が昭和四十七年より奈留島で四十年近くにわたり続けていたがん対策を中心とした総合検診に昭和五十六年ごろより携わっており、県議になってからも五島市ができるまで検診に参加してまいりました。
去る一月十七日及び十八日の二日間、高桑委員長、河本理事、稲村委員、瀬谷委員、長谷川委員及び私、理事志村の六名は、佐賀県及び長崎県に派遣され、九州電力株式会社玄海原子力発電所、ハウステンボス熱供給株式会社及び長崎大学医学部を視察してまいりました。 以下、調査の概要について申し上げます。
現地における会議は、十一月三十日午前十時より午後零時三十一分まで、ホテルニュー長崎会議室において開催し、まず私から、派遣委員及び意見陳述者の紹介並びに議事運営の順序等を含めてあいさつを行った後、長崎大学医学部長長瀧重信君、核兵器禁止平和建設長崎県民会議議長久米潮君、長崎県被爆者手帳友の会会長深堀勝一君、長崎県労評センター単産被爆者協議会連絡会議議長築城昭平君、日本原水爆被害者団体協議会代表理事・長崎原爆被災者協議会事務局長山田拓民君
長崎大学医学部長長瀧重信君、核兵器禁止平和建設長崎県民会議議長久米潮君、長崎県被爆者手帳友の会会長深堀勝一君、長崎県労評センター単産被爆者協議会連絡会議議長築城昭平君、日本原水爆被害者団体協議会代表理事・長崎原爆被災者協議会事務局長山田拓民君、以上の方々でございます。 それでは、長瀧重信君から御意見をお願いいたします。
粟屋敏信君外六名提出)について 四、出席者 (1) 派遣委員 座長 網岡 雄君 鈴木 俊一君 住 博司君 石田 祝稔君 冬柴 鐵三君 三原 朝彦君 岩佐 恵美君 (2) 現地参加議員 山崎 泉君 (3) 政府側出席者 厚生省保健医療 局企画課長 川邊 新君 (4) 意見陳述者 長崎大学医学部
長崎にはもちろん長崎大学医学部がございます。あるいは近隣の福岡県にもございます。いかにして優秀な医師を確保していくかというのが大変な問題なんですよ。これが国立病院でなくなった、そうなった場合に、後医療云々と言われますけれども、国は責任を持って医師の確保が一体できるのでしょうか。私はこれは大変な問題だと思いますよ。地方自治体も大変このことで頭を痛めておるのです。その辺はどうでしょうか。
その点についての御見解と、あわせて、長崎大学医学部附属原爆後障害医療研究施設ということで、これがまだ研究所になっていないわけです。だからぜひ研究所にしてほしいという強い要望がある。
厚生大臣官房長 石野 清治君 厚生省公衆衛生 局長 佐分利輝彦君 事務局側 常任委員会専門 員 中原 武夫君 参考人 総評単産被爆者 協議会連絡会議 室田 秀子君 日本原水爆被害 者団体協議会事 務局長 伊東 壮君 長崎大学医学部
(5) 国立長崎大学医学部の入学試験問題が、過去四年間にわたって、特定者に漏洩されていた事件は、最も公正に実施されるべき入学試験に対する国民の信頼を裏切ったものとして、極めて遺憾である。 政府は、同大学に対し、このような事例の再発を防止するため、厳正な管理を自主的に行うよう、強く要請するとともに、入学試験の公正確保に、格段の努力を傾注すべきである。
○国務大臣(永井道雄君) ただいま御決議がありました長崎大学医学部の入学試験問題漏洩に関する件につきましては、大学において必要の措置を講じつつあるところでありますが、御決議の趣旨に沿って同大学についてはもちろん、広く入学試験の公正の確保に努力してまいりたいと存じます。
それから昭和四十二年度でございますが、長崎大学医学部の学生で原爆の被害を受けた方々につきまして七万円、これは文部省のほうで所管いたしましてお見舞いを差し上げたというケースがございます。それから昭和四十四年度には、先ほどの防空関係では、警防団員の方々につきまして、自治省の所管でございますが、七万円の見舞い金を差し上げた。これはなくなられた方でございます。
また、医学的な面については国立予防衛生研究所、広島大学付属原爆放射能医学研究所、長崎大学医学部付属原爆後障害医療研究施設、広島、長崎の原爆病院等において被爆者に関する調査研究が続けられてきたのでございまして、大がかりな全国的な調査をやったのは今度が初めてでございますが、それまでにも手をつかねておったということではございませんことを御了承願いたいと思います。
国立栄養研究所の整備拡充に関する請願 (床次徳二君紹介)(第一二九八号) 七五 国民年金法の改正に関する請願(正力松 太郎君紹介)(第一三一一号) 七六 動員学徒犠牲者の処遇改善に関する請願 (灘尾弘吉君紹介)(第一三一五号) 七七 保健所に栄養指導員必置等に関する請願 (森下元晴君紹介)(第一三一六号) 七八 同(鈴木一君紹介)(第一三九九号) 七九 長崎大学医学部原爆犠牲学徒
(第二一九号) ○国民健康保険制度の強化に関する請願(第二二 九号) ○性病対策強化に関する請願(第三九二号) ○動員学徒犠牲者に対する国家処遇改善のため援 護法改正に関する請願(第四二一号) ○国立岐阜療養所災害保障等に関する請願(第四 七一号)(第四七二号)(第六〇〇号)(第六 〇一号)(第六一五号)(第七二〇号)(第八 四三号)(第九六四号)(第九八九号)(第一 一八一号) ○長崎大学医学部原爆犠牲学徒援護
厚生事務官 (児童家庭局 長) 竹下 精紀君 委員外の出席者 専 門 員 安中 忠雄君 三月一日 健康保険法等の一部を改正する法律案(内閣提 出第一七号) 同月二日 保健所に栄養指導員必置等に関する請願外三件 (藤本孝雄君紹介)(第一四四六号) 老後の生活保障のため年金制度改革に関する請 願(三木武夫君紹介)(第一四四七号) 長崎大学医学部原爆犠牲学徒
に関する請願(伊藤卯四郎 君紹介)(第一二九〇号) 国立栄養研究所の整備拡充に関する請願(床次 徳二君紹介)(第一二九八号) 国民年金法の改正に関する請願(正力松太郎君 紹介)(第一三一一号) 動員学徒犠牲者の処遇改善に関する請願(灘尾 弘吉君紹介)(第一三一五号) 保健所に栄養指導員必置等に関する請願(森下 元晴君紹介)(第一三一六号) 同(鈴木一君紹介)(第一三九九号) 長崎大学医学部原爆犠牲学徒
事故発生直後、直ちに鉱業所の救助隊五十名が入坑し、救助作業を開始し、負傷者は坑口から約百メートル離れている鉱業所病院に入院せしめ、応急措置を行なう一方、長崎大学医学部に救援を求めたところ、麻酔学教室後藤助教授外二名の医師及び看護婦二名がバード麻酔器、酸素吸入器等を持参し、救援にかけつけ、応急措置に協力されました。